私、市野佑馬は愛知県岡崎市で、共働きの両親もと二人兄弟の長男として生まれました。両親に大切に育てられ小・中・高と岡崎市で育ちました。
小学生から中学生まで行っていた空手の影響で決めたことは必ずやり遂げる精神力が現在の私を作っています。
小学校で1年に1回マラソン大会が開かれており、自分が決めた目標の順位のために片道1.5キロはある道場までの道のりを毎週欠かさずに走って行っていました。その結果目標順位に到達できて、目標達成の大変さと必ず達成できる自信がつきました。
今あるもので何ができるかという創造性の性格も持ち合わせており、当時UFOキャッチャーにハマっていた影響で自力で自宅に段ボールでUFOキャッチャーもどきを作る子供でした。
また、幼いの頃から変わらず好奇心旺盛なところもあり、行きたいややりたいと思ったことは自分で体験していました。
これはのちにインターシップで行ったカンボジアでの生活の原点になっています。
小学生低学年の頃は周りの目は気にせず、正しいと思ったことをやり通す子供でしたが、小学生高学年の時に、クラスである一人の女の子をいじめることが流行りました。
自分の正義にウソをつけない性格のためいじめを拒絶したことから、標的が私に代わり、クラスの女の子から約半年間におよぶいじめを経験しました。
この時に、私は、本心を伝えないことと、中心グループにいることが自分を守ることにつながり傷つかないと考えるようになります。のちのちまでこの時身につけた自分を守る方法で自らを苦しめるとは思ってもいませんでした。
小学校を卒業してからは、地方の国公立ではよくある小学校からエスカレータ式で周りにほとんど変化のないメンバーで中学生活を送りました。
自分を守るために建前が日に日に上手くなり、相手喜びそうな言葉を察しては伝える八方美人のような立ち振る舞いをして生活をおくました。
また、クラス、学年で目立つグループに属することで何かあった時も対処できるポジションを確立していました。
当時は無理していたとは気づくことはありませんでしたが、周りの顔色をうかがいながら好かれるキャラ作りに徹していました。
そんな時に1回目の転機が訪れました。
それが、大学進学です。
当時私は、父親が仕事に行く生活を見ていると日々のストレスより疲弊していることが非常に伝わってきました。
そのため、私は企業に勤めるサラリーマンではない働き方をしよう、周りと競争ばかりの生活はしないと決めて私の周りでは当たり前であった経済大学にいくことをやめました。
また、祖母の祖父の介護を見ていた時に当時何もできなかったため次は何かちからになれたらいいなと思いもあって福祉大学に進学をました。
福祉大学入学後は、自分のやりたかったボランティア活動を行い本当に何がやりたいのかが少しずつ見えてきました。
特に私の長所でもある、人の意見だけで判断するのではなく、自分の体験がなによりも大切だと考え、サラリーマンを経験せずに否定するのはおかしいと思い、一度就職を決めました。
しかし、ご縁もあり、就職が決まった最後の春休みにカンボジアへインターシップに行きました。
これが2回目の転機です。
カンボジアでのインターシップで現地の人や今ままで出会ったことのない働き方をしている方々の話を聞くことで小学生の時に身に付けてしまった防衛方法は実は必要のないものだと気付き少しずつ払拭させることができるようになりました。
周りの目だけを気にするのではなく、自分の意見や思いを大切に行動することが必要であり、いちのゆうまだと思い出しました。
そのあと1年間のサラリーマンを経験したことでやはり当時自分にはこの道ではない、どこでも生活できるスキルを身につけたいという思いより東京にでました。
東京に出てからは、個人のお店に直談判をして和食料理を学びながら、朝は掃除のアルバイト、深夜や休みの日にEC物販を行う生活をしていました。
目まぐるしい生活もあり、当時EC物販で独立をしました。
その後、さらにITを学びたい思いからIT企業に転職を行い、ITスキルを身につけながEC物販を続けました。
その結果現在は、EC物販兼Webマーケターとしてのポジションを確立させることになります。
Webマーケターを通して、多くの成功・失敗を経験しました。
その中でも印象的な(特に市野だから向いている)エピソードが3つあります。
まずはEC物販を始めた当初に起きた失敗談です。
EC物販を始める前は福祉・料理・清掃と常にお客様が目の前にいる仕事でした。そのためトラブルが発生した場合は何よりも目の前に起きているトラブルの対応に追われる日々が当たり前でした。
しかし、EC物販ではお客様の顔は見えず、お客様のことはパソコン上に映し出せれる文字の羅列でしかありません。
そのため、当時初めてトラブルが起きたときに対応が遅れてしました。
結果お客様よりお叱りのお言葉を頂戴して信頼を失ってしましました。
この時に当たり前ですが、どんな商売をしていてもお客様は画面上ではなく、存在している方だと認識をして心を入れ替えました。
2つ目が中古・古いから売れないではない、必要な人に届けられれば商品は必ず売れるエピソードです。
EC物販事業では、中古商品や主に2000年代の古いパソコンを扱うことが多いです。
家電やパソコンは1年ごとに最新型が発売されます。最新型がでたから、古い商品は売れないのではと始めた当初は考えていました。
そのゆえ、新品商品を仕入れることばかりに目がいき思うように売り上げを立てることができませんでした。
しかし、リサーチを繰り返して、お客様のニーズを考えていくうちに新品だから売れて、古い、傷だらけだから売れないという固定概念はなくなりました。
商品が本当に必要だから購入をすること、「当たり前のこと」を学び現在の働き方に生きています。
3つ目がどんな時でも好奇心がある専門家でいることです。
Web業界は3ヶ月現場を離れたら追いつくまでに1年かかるといわれるくらい日々目まぐるしいい進化しています。
目的は初めからブレてはいませんが、初めては辞めてと長く続いている仕事がない私です。
よく言えば好奇心があり、様々なことを自分で経験したい思いが幼い頃よりあります。
そんな私の天職が今のWebマーケティングの仕事です。
情報を収集し、小さな変化を感じながら、より良くなるための方法を考え、行動する毎日は、これまでに感じたことのない充実した日々です。
今は2つ夢があります。
1つ目は、世の中に本当に価値のある商品を届けられる存在になることです。
ドイツのサッカー選手フランツ・ベッケンバウアーの言葉に「強いものが勝つのではないのだ、勝ったものが強いのだ。」という言葉がありますが、世の中にある売れている商品も「良いものが売れているのではなく、戦略を立てて売れる準備をしたからこそ売れている」と確信しています。
そのため、私は良い製品を売れる環境を準備する存在になるように日々活動しています。
具体的には、一般社団法人日本広告士協会を立ち上げます。協会理念は市野が過去から積み上げてきた「当たり前のことを当たり前にする」を掲げています。
長く続いている企業の当たり前は、企業理念で言語化されています。変化するものと変化しないものを分けて、激動の時代を生きています。
クライアントにとっての当たり前、企業にとっての企業理念、個人にとっての命に込められた願い。
それらを言語化して、広く告げ、広告していく。これが私たちの協会の存在理由です。
もう1つは私のように多くのことに手を出して、辞めてしまった人にやりたいことを全てやりぬけば必ず自分の力が活かせる仕事に出会えると伝えられる存在でいたいと考え発信しています。
本当に今やっていることがやりたいことなのか分からないと思いながら日々のことに取り組んでいる方は多いと思われます。
やり始める前は今やっていることが必ず正しいと考え行動しているはずです。
私も同じ考えのもと多くのことをやっては辞めてきました。
しかし、多くのことを経験したからこそ見えることも多く、その一分野しか見てこなかった方では気付けないことも多く感じとれる自信があります。
自分の心に正直に現在やりたいことが違うとなるまでやり続ければ必ず自分の力が活かせる仕事に巡り合えると強く伝えていきます。
TPF 代表:市野佑馬